ねこと暮らすことが珍しくなくなった現在ですが、一体いつごろからねこは人間と暮らすようになったのでしょうか?
今回はねこの歴史を探っていきます。
ねこの祖先は、約6000万年前の古代のミキアスと言われいます。
ねこ以外にも、現代の犬やアシカなどを含む、食肉目の祖先で、小型の捕食者だったと考えられています。
ミキアスは樹木の上で生活を送っていたといわれ、その特性を持ったまま進化した種がプロアイルルスです。
ちなみに、平地に生活の場を移したの種が、犬の祖先と言われています。
プロアイルルスは、ヨーロッパからアジアにかけて生息し、現在のジャコウネコに近い肉食獣でした。
プロアイルルスから進化した、プセウダエルルスが現代のネコ科の祖先と言われています。
プセウダエルルスは生息地域を、北アメリカまで広げました。
各地域でそれぞれが適応していき、その進化した種の中から、現在私たちの身近にいるねこ=イエネコに進化していったと考えられています。
ネコ科の祖先種のプロアイルルスは各地域でそれぞれ進化し枝分かれしていきました。
各地に散らばって発展をしていった中で、北アメリカから戻って、中近東あたりに生息していた小型の肉食動物が、現在のイエネコの祖先です。
様々な研究により最も近いイエネコの祖先は、約13万1000年前頃に中東付近などに生息していた亜種リビアヤマネコである可能性が高いとされています。
ねこが人間と共生するようになったのは、農耕が始まったころです。
穀物の貯蔵庫を荒らすネズミを、捕食するためにその周辺に定住するようになったと考えられています。
結果的にねこが大切な財産を守ってくれたことと、ネズミから感染する疫病が減っていったことなどから、だんだんとねこの家畜化が始まっていったのでしょう。
農耕集落の残飯や寝床などの様々なメリットを求めて近づいてきたねこたちは、次第にネズミ捕り係や愛玩対象としての要素を見出され、人間に利益をもたらすようになって共生が始まっていったのではないでしょうか。
ねこがいつごろから人間に家畜化されていたのか、はっきりとした時期などはわかりません。
イエネコが飼育されていた最古の記録は、9500年前のキプロス島の遺跡から発掘された、高貴な人物の近くより発見されたイエネコらしき骨です。
当時キプロス島にネコ科の生物が存在していなかったことから、飼育を目的として他より持ち込まれたことが始まりではないかとされています。
そして4000年〜5000年前の古代エジプト王朝からヨーロッパ全域、さらにアジアにも広まり、その後中国を経て日本に渡ってきたとされています。
中国との交易の中で日本へ渡ってきたとされているイエネコですが、2008年に長崎県壱岐市のカラカミ遺跡で、ねこのものとされる骨が発掘されました。
これによりおよそ2000年前の、弥生時代にはすでに日本にはねこが存在していたという説が濃厚です。
もしかするとはるか昔に陸続きだったころに別ルートで、日本にねこの祖先がやってきていたかもしれません。
前記の通り弥生時代にはすでに、ねこが存在していたと思われます。
それ以前の説では、飛鳥時代に中国から日本に渡ってきたとされていました。
中国の仏教寺院では、大切な古い書物や経典をネズミの被害から守る為に、ねこを飼っていたようです。
そして日本に渡来する際の船にも、食料や経典をネズミによる害から守る為に、ねこが持ち込まれました。
日本でイエネコが定着するようになったのではないかとされています。
中国から来たとされるねこが、その後日本でどのように暮らし、住み着くようになっていったのでしょうか?
文献として残された正史や説話などでは、飛鳥時代の頃にはすでに、ねこが存在しています。
平安時代の頃、ねこはようやく愛玩動物として扱われ始めたようです。
まだ数も少なく貴重であったため、その飼育は高貴な身分の人のみの楽しみだったようです。
なかでも宇多天皇記の中で、宇多天皇(在位887-897)が真っ黒なねこを宮中で飼われている様子の記述があります。
そのねこに、おかゆを与えたり、宮中を静かに足音を立てずに歩く姿が細やかに書かれているのです。
他にも宮中の猫について『源氏物語』や『枕草子』にも記述があります。
江戸時代初期になると、ネズミからの被害を減らすために、ねこを放し飼いにするお達しが出されました。
これ以前は、ねこに首輪とひもをつけて飼うことが一般的だったのです。
このねこの放し飼い令によって、街中のネズミの数が激減することになります。
またこの頃も依然としてその存在が貴重だったため、縁起ものの招き猫が生み出されたり、お守りとしての猫絵も販売されていたそうです。
その後だんだんと庶民の間でもネズミ駆除のためにねこを飼う習慣が広まっていきました。
明治以降になると洋猫も流入してきます。
そのころから一般庶民の間で、愛玩動物として、ねこが飼われるようになったのです。
ねこのしっぽは本来長いのですが、日本猫のしっぱは短いです。
しっぽが短い理由は、日本の怪談に由来します。
日本の怪談の「化け猫」のしっぽが長かったため、短いしっぽの猫は化けないと信じられていたそうです。
そのため、ねこのしっぽが長い場合は、しっぽを切ってしまったり、しっぽの短いねこだけが、保護される対象となっていたため、しっぽの短い猫が増えたと考えられています。
また、しっぽの長い猫は、しっぽが裂けて二股に尾が分かれ「猫又」になるなどの噂により、尻尾の長いねこは嫌がられ、尻尾の短いねこが好まれたそうです。
それ以外にもねこの尻尾に火鉢の火が引火し大火が起きた事があり、それ以来、長い尻尾は火事を連想させるなどの理由もあります。
中東の砂漠の中で暮らしていたねこの祖先は、やがて中東からインド・中国に渡り、ネズミに穀類を食い荒らされたり、大切な仏教の経典等がかじられたりする被害を、防ぐために多く飼育されるようになりました。
やがてねこはアフリカやヨーロッパへ渡って行ったとされています。
古代からエジプトではねこは聖なる動物とされて特別な扱いをされていたようです。
太陽神ラーの象徴としてオス猫が描かれています。
また、ねこの顔をした女神かそのまんまねこの姿で描かれる女神バステトの化身と言われています。
そのため、古代エジプト人はねこを聖なる獣として国外持ち出しを禁止されていました。
この頃には、王族の間ではペットとしても寵愛されていたようです
古代ローマ時代に入ると、エジプト時代に国外持ち出し禁止だったねこも、国外へと持ち出されるようになりました。
ねこはネズミを退治してくれるということで大変重宝な存在だったからでしょう。
ローマ人はエジプト人とは違い、ねこを崇拝するというようなことはありませんでした。
しかし、ヨーロッパ各地へ拡大を続けていたローマ軍は、兵隊の食料を保管する倉庫係として、行く先々にねこを連れていったようです。
その中で脱走したねこが、森の中や高地に生息していたヤマネコと交配し、結果としてヨーロッパ各地に猫が広がっていったと考えられます。
ヨーロッパ各地に広がっていったねこたちは、大航海時代には船の番人として「船猫」として大変重宝されていました。
しかし、中世のヨーロッパでは、多くの宗教指導者が「猫は魔女の手先である」と吹聴したことにより、ねこを飼っている独身の女性は魔女と見なされ、飼っていたねこと共にあらゆる方法で処刑されました。
更に、1484年に当時のローマ法王がねこ及びねこを飼う人全てを処罰したこともあります。
フランスでも多くのねこが殺され暗黒の時代が続きます。
ですが、猫がいなくなったヨーロッパの町では、ドブネズミが大量発生し多くの伝染病が媒介され、ペストの大流行で多くの人々が亡くなりました。
やはりネズミを退治するねこが、必要であるとその存在の意義を回復していったようです。
名誉回復のきっかけとなった一つに、17世紀の終わり頃にフランス文学界の代表作『長靴をはいた猫』の誕生があったようです。
この民話が誕生して以降、18世紀には、ねこが登場する文学作品が次々と誕生しました。
そのため、ねこに対するヨーロッパの人々のイメージが良くなり、ペットとしての地位も向上して行ったそうです。
ねこは人の役に立つ生き物として人間との共生が始まりました。
しかし、その妖艶な姿や気まぐれな気質から歴史の中で、時には神々しい存在として大切にされたり、一方では魔女の使いや妖怪などと忌み嫌われたりとその存在が変化していきました。
今ではネズミの駆除目的で飼育されることはほとんどありません。
愛玩動物としての地位を得たねこたちにも、様々な歴史があります。