いまでこそ、愛玩動物として私たちの側で愛らしい姿を見せてくれるねこですが、ここに至までは幾多の苦労がありました。
ねこは、世界の歴史の中でいつもかわいがられていたわけではありません。
では、ねこはどのように歴史や歴史上の人物たちと関わってきたのでしょうか。いくつかのエピソードをとおして紹介していきます。
世界の歴史にねこがどのように関わってきたかお話する前に、ねこがどのようにして人と暮らしはじめたのかを簡単に説明しています。
チグリス川とユーフラテス川の2つの大河の流域の狭間で栄えた、メソポタミアで農耕がはじまったのが今から1万年ほど前のことでした。
農耕が行なわれるようになると、ネズミがあらわれ穀物を食い荒らすようになりました。
ほどなくして、ネズミを獲物にするリビアヤマネコが集落の中に入り込むようになり、自然と人間の近くで暮らすようになったのです。
つまり、ネズミの害に困っていた人々と、獲物を狩りたいねこの利害関係が一致し共存するようになったのです。
その後、農耕の広まりとともに、害獣から穀物を守ってくれるねこは世界中に広がっていきました。
キプロス島のシロウロカンボス遺跡では、9500年ほど前に人といっしょに埋葬されたリビアヤマネコが見つかっています。
これは、当時ねこが丁重に扱われていたことや人に飼われていた証拠であるとされています。
そして、この埋葬されていたねこは、現在記録に残っている中では世界最古の飼いねこと考えられています。
古代エジプトでは、ねこと人はとても深いつながりがありました。ねこは、ネズミなどの小動物から穀物を守るために飼育され、とても大切にされていたのです。
ねこが亡くなれば家族同然に弔い、地位の高い飼い主のねこはミイラにされることもありました。
さらに、ねこはバステト女神の化身と考えられるようになり、疫病や災害から守ってくれる存在として崇められるようにもなりました。
そんな古代エジプト王朝と敵対していたのがペルシアです。
紀元前525年に起きたペルシウムの戦いで、ペルシア軍はねこを愛し崇拝するエジプト人の気持ちを利用したのでした。
ペルシア軍は、ねこを盾に縛りつけ(ねこの画を描いただけという説もあります)て戦いました。
その結果、エジプト兵はねこを傷付けることができず、あっけなく敗退してしまうのです。
ペルシアはエジプト第26王朝をいとも簡単に滅ぼしました。
おそらく、史上最も姑息な生物兵器の使用例と言えるのではないでしょうか。
アッラーの使徒である預言者ムハンマドがかなりの猫好きだったこともあり、イスラム圏ではねこをとても大切にしています。
頻繁にグルーミングをして体を清潔に保ち、臭いもないねこは「汚れなきもの」の代名詞ともなっています。
また、イスラム教ではねこは7つの魂を持つと考えられており、ねこへの愛は信仰心のあらわれととらえられていたようです。
そんなイスラム圏に伝わる、ムハンマドと猫にまつわるエピソードをひとつ紹介します。
ある日、ムハンマドが礼拝に出掛けようと準備をしていたら、着ようと思っていた服の袖の上で愛猫ムエザが気持ちよさそうに寝息を立てていたのでした。
寝ているねこを起こすのはかわいそうだと思ったムハンマドは、ムエザを起こさないように、袖を切って片方だけ袖の短い服を着て出かけました。
すると、帰宅したムハンマドにムエザはお辞儀をしたというのです。
ちなみに、イスラム圏ではキジトラやサバトラ、茶トラなどのトラ猫の額にある「M」の字のような模様は、ムハンマドが指で触れた印だという言い伝えがあるようです。
15世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパで吹き荒れた魔女狩りの嵐の中、ねこも受難の時代を迎えます。
悪魔や魔女の崇拝者はねこの姿を借り、あるいはねこに乗って森の洞窟で集会を開いたという言い伝えがありました。
そのせいで、ねこは魔女の使いや化身であると考えられるようになったのでした。
狂信的な集団が行きすぎた行動を起こす事例は今も事欠かないのですが、この時代にも似たような人たちがいたようです。
ねこを飼っているだけで魔女あつかいをしたり、黒=闇の色だからと黒猫を忌み嫌ったりすることが横行していました。
かわいそうなことに、ねこは魔女の使い魔として焼き殺されたり、暴力的に追い払われたりしていたようです。
ちなみに、ネズミの害から社会を守っていたねこを邪険にした結果、ネズミが大繁殖してペストが蔓延したという説がありますが、実はこれは間違いです。
ヨーロッパがペスト禍に見舞われたのは、魔女狩りの時代よりも300年ほど前と言われています。
そして、時代は下って1843年にエドガー・アラン・ポーの短編小説「黒猫」が発表されると「黒猫が怖い」ブームが起こりました。
これがきっかけとなり、黒猫は不吉の象徴としてあつかわれるようになってしまったのでした。
そして、いまだにホラー映画には黒猫がつきものになっています。
もしかすると、ねこを大量虐殺した後ろめたさや申し訳なさから、ねこを過度に怖がる気持ちが生まれたのかもしれませんね。
なんにしても、黒猫にとっては迷惑極まりない話しでしょう。
ヒトラーはかなりの犬好きで、ジャーマン・シェパードを飼っていました。
犬好きのヒトラーは、「捨て犬は保護をして、貰い手を見つけるように」と通達していたそうです。
一方で、ねこに対しては大変冷淡で「狩猟の邪魔になるから殺してよい」としていました。
なぜ、ヒトラーがここまでねこを嫌っていたのか、はっきりとはわかりませんが、犬とねこの性質の違いが影響していると考えられています。
ヒトラーは、リーダー(飼い主)に忠実で規律を守るといういぬ的な社会を理想としていたと言われています。
そのため、自由奔放で個人主義なねこの性質を嫌ったのかもしれません。
そんなヒトラーと戦ったイギリスのチャーチルは、大のねこ好きでした。
ねこ好きのチャーチルは、私邸にも官邸にも必ず1、2匹のねこを置いていたそうです。
そのため、チャーチルとねこのエピソードがいくつか残されています。その中でも印象的なのが、愛猫ジョックに関するエピソードです。
ジョックは、チャーチルの88歳の誕生日に贈られた茶白のねこで、彼にとって最後のねこでした。
チャーチルはジョックがかわいくて仕方がなかったのでしょう。
自宅を政府に寄付する際に、こんな条件をつけたのでした。
その条件が「常にマーマレード・キャット(オレンジ色のねこ)を飼うこと。そして、名前はジョックにすること」でした。
現在、チャーチルが寄付をしたその家にはマーマレード・キャットの7代目ジョックが幸せに暮らしています。
世界史を通してねこがどのように人と暮らすようになり、人と関わってきたのかを紹介しました。
歴史を通して見るねこは、決してよいことばかりではありませんでした。
生物兵器(?)として盾にくくりつけられたり、魔女狩りでは人々の勝手な思い込みで暴力的な扱いを受けたりもしました。
一方で、ネズミから穀物を守るという重要な仕事を任されたことにより、大切にされていたことも。
また、歴史に登場するねこ好きな人たちにかわいがられていた歴史もあります。
いつの世も、ねこをかわいがる人もいれば、酷い扱いをする人もいます。
今後もねこは、歴史の中で人々と関わっていくことになるでしょう。
ぜひとも、かわいがられるだけの歴史であってほしいものです。